優れた部分を吸収する
- 2015/10/01
- 22:50
米長将棋というと「米長玉」である。例の香の上に玉を乗せる形だ。しかしこの米長玉の意味は、単に囲いの形ではない。序盤戦から終盤戦を見据える感覚のようなものである。序盤で一路でも中央から遠ざかっておけば、必ず終盤でそれが生きてくる。この発想はおそらく当時はなかった。皆終盤で負けるわけである。そしてこの感覚は、居飛車穴熊へと発展して将棋界の風潮を大きく変えることになる。
今思い出しても、終盤での、ことに玉まわりの強さは飛び抜けたものがあった。いわゆる「ゼ」。絶対詰まない形に異常に明るいのである。後進の我々には当たり前の感覚だが、おそらく当時は図抜けていたのだろう。皆が知らないことにいち早く気づくのはこの世界で勝ち組にまわるためのひとつの要素である。大半の棋士が気がつかない「玉のまわりの大事さ」にひとり気がついているのだから、必然逆転勝ちが多くなる。
もうひとつ米長将棋を語るうえで欠かせないのが「玉頭戦の技術」である。
玉頭戦における独特の感覚ー。厚みの発想。急所へ駒が向かうことの重要性。そうした点ではっきりと抜きんでていた。本人もよく分かっていたようで「大山さんには玉頭戦に持ち込めばいいんだ」というようなことをよく言っていた。「ただしそこまでが難しいんだ。あのオッチャンの場合はな」
唯一玉頭戦を嫌がったのが故森安秀光九段が相手の時だった。「ごちゃごちゃしているうちにどうもやられる」
事実、対森安戦の時は四間飛車に対し、いつも急戦で闘っていた(米長邦雄の本 弟子が語る米長邦雄p98 日本将棋連盟)。
米長邦雄先生がよく勝っていたのは、皆が知らないことにいち早く気づいていたからであることが分かりました。相手との距離感を正確につかむのがお手のものだったらしいです。勝つための最善の方法を考える点で優れていたそうです。それぞれの棋士が意識していたことを知りながら棋譜ならべをすると、その棋士の優れた部分を自分のものにできるかもしれません。
今思い出しても、終盤での、ことに玉まわりの強さは飛び抜けたものがあった。いわゆる「ゼ」。絶対詰まない形に異常に明るいのである。後進の我々には当たり前の感覚だが、おそらく当時は図抜けていたのだろう。皆が知らないことにいち早く気づくのはこの世界で勝ち組にまわるためのひとつの要素である。大半の棋士が気がつかない「玉のまわりの大事さ」にひとり気がついているのだから、必然逆転勝ちが多くなる。
もうひとつ米長将棋を語るうえで欠かせないのが「玉頭戦の技術」である。
玉頭戦における独特の感覚ー。厚みの発想。急所へ駒が向かうことの重要性。そうした点ではっきりと抜きんでていた。本人もよく分かっていたようで「大山さんには玉頭戦に持ち込めばいいんだ」というようなことをよく言っていた。「ただしそこまでが難しいんだ。あのオッチャンの場合はな」
唯一玉頭戦を嫌がったのが故森安秀光九段が相手の時だった。「ごちゃごちゃしているうちにどうもやられる」
事実、対森安戦の時は四間飛車に対し、いつも急戦で闘っていた(米長邦雄の本 弟子が語る米長邦雄p98 日本将棋連盟)。
米長邦雄先生がよく勝っていたのは、皆が知らないことにいち早く気づいていたからであることが分かりました。相手との距離感を正確につかむのがお手のものだったらしいです。勝つための最善の方法を考える点で優れていたそうです。それぞれの棋士が意識していたことを知りながら棋譜ならべをすると、その棋士の優れた部分を自分のものにできるかもしれません。
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